おじいちゃん・おばあちゃん

長い間放置してしまっていて、気づけば最後に更新したのがちょうど2年前になってしまいました..。最後に書いたのはコロナになった状況の報告であれから早2年。メキシコではコロナ騒動がなかったかのようにコロナ前と何の変化もない日常です。

 

祖父母が創業した会社で今では兄が勤めている会社が80周年になるということで、現社長の奥様が80年史を製作してくださっており、その冊子に私が以前製品開発に携わった製品についてのインタビューを受けました。久しぶりに日本とつながった気がした。

メキシコ来て早4年、日本語にほぼ触れない生活をしていて、こんな形で久しぶりに日本に触れ合えて嬉しかった。そして、今回久しぶりにブログを開いたのも、もっと日本語でのアウトプットをしたいと思ったから。

 

さて、今の私たちはというと、あれから(前回更新後)すぐに義家族のホテル近くの太平洋側のジャングルに引っ越し、今では人間2人、犬2匹、鶏19羽、そしてギース2羽の暮らしになりました。

このジャングルはアメリカ人夫婦(奥様は日本人のハーフ)がオーナーで、30年前からご主人が百何十種類もの木々や植物を植えて、自然農法で彼が作り上げた4ヘクタールの人工林(?)。オーナー夫婦、彼らのお手伝いをする原住民家族と私たちの3家族が敷地内に住んでいます(たまにworkawayというボランティアの人たちがステイしていることも)。ジャングルと言っても徒歩10~15分ほどで町の中心に行けるし、彼は車で10分ほどで仕事に行けるようになったのでそこまで人里離れていません。私はここに小さな工房を構えて小さな小さなパン屋さんをやりながらスローライフを楽しんでいる。

 

話は戻して祖父母が創業した会社が80周年を迎える。幼少期、父親の仕事の関係でアメリカで過ごした私にとって祖父母と過ごせる時間は通常より少なかったのかも知れない。それでも夏休み、冬休み等長期休みに一時帰国すると東京にある祖父母の家で過ごしていた。祖父母は食品会社を経営していて、工場に立つおじいちゃんの背中を見て、私も職人になりたいと思いました。おじいちゃんが扱っていたのは日本の小麦のお菓子、私はアメリカ暮らしの影響か、同じ小麦でもパンの道へ進んだ。おじいちゃんの姿が職人の私の原点である。

おばあちゃんは植物が大好きな人で、広いベランダいっぱいに植物を育てていた。一緒に水やりするのが泊まっている時の日課だった。私はいつから植物を好きになったのか覚えてない。日本にいた頃は無農薬野菜が食べたいからの理由で家庭菜園にも挑戦してはいたけど失敗、メキシコに来てから見たこともないようなたくさんな植物を知って、亜熱帯地域ならではの生命力に魅了された。今ではいろんな植物を育てたり、増やしたりしてみんなに分けている。それを見兼ねて大家さんは私のためにグリーンハウスを建ててくれたほどである。

そしてもう一つおじいちゃん、おばあちゃんに教えてもらった大切なこと:『もったいない』という日本ならではの精神。無駄を出さない、モノを最後まで使いつくすことを大切にしようという精神。特におばあちゃんは『もったいない』をよく口にしていた。以前も触れたけど、それって、さーきゅれーしょん オブ らいふ とも同じこと。何一つ無駄ではなく、循環する。それが自然の仕組みなのだ。私はこういう暮らしが心地良い。そしてその原点にはいつも祖父母がいる。おじいちゃん・おばあちゃんは今でも私の中に常に生きている。

今住んでいるジャングルのドライブウェイを駆け上る我が家の老犬たち